【大好き】第5話 新しい世界
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それからしばらくたったある日、藤堂は早坂に呼び出された。早坂は元気がなく、くっきりした二重の目は力なく伏せられて下を見ていた。
「ごめんなさい、藤堂さん……」
早坂の様子を心配した藤堂は、そっと近づいた。
「どうしたんですか、早坂さん? あなたのそんな暗い顔を見るのは初めてです。何があったのか、話してくれませんか?」
藤堂は早坂の肩に優しく手を置いた。そして、彼の大きな体が少し震えているのを感じた。
「私にできることがあれば、何でもしますよ。早坂さんの笑顔が見られないのは、私にとってとてもつらいことです」
藤堂は早坂の顔をそっとのぞき込むようにして、静かに言った。
「係長に注意されました。立場をわきまえるようにと。僕達のことを見ていた誰かが、係長に注意をしたみたいです。僕はどうして好きな人と仲良くしたらいけないのか、瀬戸係長に訊きました。そしたら係長は悲しそうな顔をして、だったら余計に藤堂さんとは距離を置かないといけない、僕が傷付くことになるだろうからと言いました」
そして早坂は、両手で顔を覆って泣き出してしまった。
藤堂は早坂の言葉に胸が締め付けられる思いがした。周りを確認してから、早坂をそっと抱きしめた。
「早坂さん、聞いてください。瀬戸係長は、あなたのことを心配してくれているんです。でも……私たちの気持ちは、誰にも否定できないものです」
そして、藤堂は早坂の手を取り、ゆっくりと顔から離した。いつもキラキラ輝いていた目は、赤く腫れていた。
「確かに、会社での立場は違います。でも、そんなもので私たちの心までは縛れません。だけど、これからは少し慎重になりましょう、会社では普通の上司と部下のように。そうすれば誰も何も言いません。安心してください、私たちの特別な関係は変わりません」
藤堂は空色のハンカチで早坂の涙を優しく拭った。
「そうだ、週末は会社の外で会いませんか? そこなら、誰の目も気にせず、私たちは私たちでいられます。早坂さんの素敵な絵も、もっとたくさん見せてほしいです」
そう言う藤堂を見る早坂の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「もう、一緒にお弁当を食べられないんですか? 僕が屋上庭園に行ったから? 僕が立場をわきまえなかったから? だから藤堂さんに迷惑をかけたんですか?」
早坂は大きな体を縮こまらせて、子犬のように震えて泣いた。
藤堂は早坂の震える肩を両手で包み込むように抱きしめた。
「違います。私は早坂さんのことを一瞬たりとも迷惑だと思ったことはありません。むしろ、あなたと過ごす時間は私の一番幸せな時間なんです」
藤堂は早坂の目を見つめながら、優しく微笑んだ。
「お弁当は、これからも一緒に食べましょう。ただし……場所を変えましょう。私の執務室なら、誰にも邪魔されません。そこが私たちだけの、新しい特別な場所になるはずです」
藤堂は早坂の涙で濡れた頬を優しく拭いながら続けた。
「私は早坂さんを守りたい。この関係を、大切に育んでいきたいんです。瀬戸係長も、きっとそれをわかってくれるはずです。私たちは何も間違ったことはしていないんですから」
そう言って藤堂は早坂の頭を撫でた。早坂も理解したのか、小さく何度かうなずいた。
それから数日後の昼休み、約束通り藤堂は早坂を自分の執務室へ連れていった。
藤堂の執務室の大きな窓からも、東京タワーを望むことができた。早坂は窓から街の景色を眺めて、すぐ下のほうを指さした。
「あの公園の近くに、たい焼き屋さんがあるんです。あんバターがおいしいんです。土曜日、一緒に行きませんか? 藤堂さんを連れていってあげたいんです。僕が好きな場所、全部に」
早坂は笑っていた。いつも通りの無邪気な笑顔だった。藤堂は早坂の隣に立ち、同じ景色を眺めながら柔らかく微笑んだ。
「ええ、ぜひ行きましょう。早坂さんの好きな場所を、全部教えてください。私も、私の好きな場所をあなたに見せたいです」
藤堂は早坂の肩にそっと手を置いて続ける。
「それからね、会社の外では『準』って呼んでくれませんか? 私も早坂さんのことを『真』って呼びたいんです」
言いながらはにかんで、頬を染める藤堂。
「そうしましょう、準さん……あっ、会社の外では、でしたね……」
早坂はそう言って、恥ずかしそうに頭を掻いた。藤堂はそんな早坂を目を細めて見つめていた。初めて早坂が、自分のことを「準」と呼んでくれた。そのことがただ、嬉しかった。
「土曜日、たい焼きを食べた後は、私の行きつけの喫茶店にも寄りましょう。そこのホットチョコレートは絶品なんです。きっと早坂さんも好きになってくれると思います」
自分だけの秘密の隠れ家。経営企画部長の仮面を脱いで、ホットチョコレートの甘さに浸ることができる場所。そんな大切な場所を、共有したいと思う相手に出会うなんて思ってもいなかった。
藤堂と早坂、二人の前には、会社という枠を超えた新しい世界が広がっていた。